Steve Jobs氏自らの協力のもとWalter Isaacson氏によって執筆された伝記は発売日が早められ,日本のAmazonでも「スティーブ・ジョブズ I
」が10月25日,「スティーブ・ジョブズ II
」が11月2日の発売になっています.
それと,伝記の著者であるIsaacson氏がTime Magazineに寄せたエッセイに,Jobs氏が亡くなる数週間前の出来事が綴られていているそうです.
それと,伝記の著者であるIsaacson氏がTime Magazineに寄せたエッセイに,Jobs氏が亡くなる数週間前の出来事が綴られていているそうです.
A few weeks ago, I visited Jobs for the last time in his Palo Alto, Calif., home. He had moved to a downstairs bedroom because he was too weak to go up and down stairs. He was curled up in some pain, but his mind was still sharp and his humor vibrant. We talked about his childhood, and he gave me some pictures of his father and family to use in my biography. As a writer, I was used to being detached, but I was hit by a wave of sadness as I tried to say goodbye. In order to mask my emotion, I asked the one question that was still puzzling me: Why had he been so eager, during close to 50 interviews and conversations over the course of two years, to open up so much for a book when he was usually so private? “I wanted my kids to know me,” he said. “I wasn’t always there for them, and I wanted them to know why and to understand what I did.”
彼が亡くなるときの詳しい病状は明らかになっていませんが,著明なるい痩は悪液質によるもので,身を捩らせるほどの痛みは転移による進展刺激ないしは骨転移でも生じていたのでしょうか.
Jobs氏は2年以上50回近くに渡るインタビューの中でここまで自分をさらけ出す理由を問われ,「子供たちに自分のことを知ってもらいたい」,「いつも一緒にいてやれなかったので,それがどうしてか知ってもらい,自分が何をしてたのかを分かって欲しい」と答えたと書かれています.
Jobs氏は世の中で知られているAppleのトップとしての顔のほかに,家族をとても大事にしたと言われているので,それを非常に良く表しているエピソードだと思います.

またまた話がそれますが,個人的にはこの伝記に対して2つの興味があります.
1つは自伝ではなく自分が関与して他者に書いてもらうという形式,もう1つは伝記をまとめることにした理由.
最初の方に関しては,自筆するには時間も体力もなく,自分で書いてしまっては言い訳めいて説得力にかけるものの,これまでに数あるJobs氏の伝記には納得出来なかったというざっくりした理由で大きくは間違ってないと思います.
でも,何となく私には彼の「ユーザは何も知らない」という言葉が思い起こされます.
これは真に革新的なモノに対してはユーザは何も知らないのだから,ユーザの意見を総合して何かを創ってもダメだという意味合いで使われ,本質を見極めるためには対象を常識にとらわれることなく直感的に見なければならないという話の時に多く語られました.
自分が自分のことを一番分かっていないというのは良く言われることですが,自分を対象にしたときに本質を見極めるには自分からの視点だけでは困難で,他者からの視点を必要とします.
人がソーシャルな存在である限り,自分の実像というのは自分の中にあるわけではなく他者の中にあるわけで,実像だと思っていたのは実は虚像で,虚像を全部引っ括めた総体が実は実像だったりします.
簡単にいえば,他の人に写された鏡の中の自分が本物で,自分自身はそれらの視線によって作られるってことです.
もしかすると,Jobs氏が本質を見極める能力に長けていたからこそ,自分という対象を見つめるときに他者の視点を必要とせざるをえないことが論理的に分かっていたのかもしれません.
ただ,卓越した先見の明も備わっている彼だからこそ,ともすれば周りから理解されていないという気持ちも強かったのかもしれず,それが自らの協力を申し出た理由なのかもしれませんが,上のエッセイでも述べられているように,Isaacson氏は筆者として公平であろうとしてきたと書いているので,決してJobs氏に都合の良いようにではなく,基本的には客観的な事実に基づいて客観的な視点で “Steve Jobs” をまとめることが許されていたのだと思います.
今回の伝記がこれまでのものと違って,他者の視点からまとめられながらもJobs氏の真意が反映されたものになっているとすれば,それらを比較し相違点を挙げることでJobs氏が自分自身をどう見ていたのかが分かるかもしれないので,そういう読み方も面白いかもしれません.
それと後者に関しては,Jobs氏は伝記のオファーが来たので協力することを決めただけかもしれませんけど,その理由として,もちろん上にあるように子供に自分のことを知ってもらいたいという思いはあったのでしょうが,それが出版されるという意味では多くの人に広く自分のことを「正しく」理解して欲しいという気持ちも少ながらずあったのだと思います.
Jobs氏が創り出した製品はユーザに愛着を持って使われ,単なる製品ではなく芸術作品だと言われることもあります.
また,Jobs氏にとっては自らが設立し,一度は追い出されたりもしましたが,見事復帰した後に奇跡的な成長を遂げさせたAppleが最高の作品だとも言われます.
でも,彼が自らの全人生をまとめる理由を考えたときに,多少ナルシスティックなところがあるからってわけでもないのですが,実は彼にとって本当に最高の作品は “Steve Jobs” だったのではないかと思ったりもします.
今回の伝記のタイトルが簡潔に “Steve Jobs” となっているのが彼の意向かどうかは知りませんが,もしかするとそういう意味も込めてつけられたのかもしれません.
そして,正にJobs氏自身による最高の作品である “Steve Jobs” が(周りの人達にとっては悲しいことですけど)先日の10月5日をもって完成したわけです.
彼が私たちに残そうとした “Steve Jobs” から何を感じ,何を学ぶのか,じっくりと楽しみながら,少し悲しみながら読んでみようと思います.
(via:9to5Mac)
Jobs氏は2年以上50回近くに渡るインタビューの中でここまで自分をさらけ出す理由を問われ,「子供たちに自分のことを知ってもらいたい」,「いつも一緒にいてやれなかったので,それがどうしてか知ってもらい,自分が何をしてたのかを分かって欲しい」と答えたと書かれています.
Jobs氏は世の中で知られているAppleのトップとしての顔のほかに,家族をとても大事にしたと言われているので,それを非常に良く表しているエピソードだと思います.

またまた話がそれますが,個人的にはこの伝記に対して2つの興味があります.
1つは自伝ではなく自分が関与して他者に書いてもらうという形式,もう1つは伝記をまとめることにした理由.
最初の方に関しては,自筆するには時間も体力もなく,自分で書いてしまっては言い訳めいて説得力にかけるものの,これまでに数あるJobs氏の伝記には納得出来なかったというざっくりした理由で大きくは間違ってないと思います.
でも,何となく私には彼の「ユーザは何も知らない」という言葉が思い起こされます.
これは真に革新的なモノに対してはユーザは何も知らないのだから,ユーザの意見を総合して何かを創ってもダメだという意味合いで使われ,本質を見極めるためには対象を常識にとらわれることなく直感的に見なければならないという話の時に多く語られました.
自分が自分のことを一番分かっていないというのは良く言われることですが,自分を対象にしたときに本質を見極めるには自分からの視点だけでは困難で,他者からの視点を必要とします.
人がソーシャルな存在である限り,自分の実像というのは自分の中にあるわけではなく他者の中にあるわけで,実像だと思っていたのは実は虚像で,虚像を全部引っ括めた総体が実は実像だったりします.
簡単にいえば,他の人に写された鏡の中の自分が本物で,自分自身はそれらの視線によって作られるってことです.
もしかすると,Jobs氏が本質を見極める能力に長けていたからこそ,自分という対象を見つめるときに他者の視点を必要とせざるをえないことが論理的に分かっていたのかもしれません.
ただ,卓越した先見の明も備わっている彼だからこそ,ともすれば周りから理解されていないという気持ちも強かったのかもしれず,それが自らの協力を申し出た理由なのかもしれませんが,上のエッセイでも述べられているように,Isaacson氏は筆者として公平であろうとしてきたと書いているので,決してJobs氏に都合の良いようにではなく,基本的には客観的な事実に基づいて客観的な視点で “Steve Jobs” をまとめることが許されていたのだと思います.
今回の伝記がこれまでのものと違って,他者の視点からまとめられながらもJobs氏の真意が反映されたものになっているとすれば,それらを比較し相違点を挙げることでJobs氏が自分自身をどう見ていたのかが分かるかもしれないので,そういう読み方も面白いかもしれません.
それと後者に関しては,Jobs氏は伝記のオファーが来たので協力することを決めただけかもしれませんけど,その理由として,もちろん上にあるように子供に自分のことを知ってもらいたいという思いはあったのでしょうが,それが出版されるという意味では多くの人に広く自分のことを「正しく」理解して欲しいという気持ちも少ながらずあったのだと思います.
Jobs氏が創り出した製品はユーザに愛着を持って使われ,単なる製品ではなく芸術作品だと言われることもあります.
また,Jobs氏にとっては自らが設立し,一度は追い出されたりもしましたが,見事復帰した後に奇跡的な成長を遂げさせたAppleが最高の作品だとも言われます.
でも,彼が自らの全人生をまとめる理由を考えたときに,多少ナルシスティックなところがあるからってわけでもないのですが,実は彼にとって本当に最高の作品は “Steve Jobs” だったのではないかと思ったりもします.
今回の伝記のタイトルが簡潔に “Steve Jobs” となっているのが彼の意向かどうかは知りませんが,もしかするとそういう意味も込めてつけられたのかもしれません.
そして,正にJobs氏自身による最高の作品である “Steve Jobs” が(周りの人達にとっては悲しいことですけど)先日の10月5日をもって完成したわけです.
彼が私たちに残そうとした “Steve Jobs” から何を感じ,何を学ぶのか,じっくりと楽しみながら,少し悲しみながら読んでみようと思います.
(via:9to5Mac)
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